丘の上の教会  1
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 その教会は、市街地を見下ろす小高い丘の上に、建ってあった。

 高校3年生の秋、部活を引退し今までより早めに帰宅することができるようになった私が

自転車でその丘のふもとをグルリと通過する際に、時折その教会が鳴らす鐘の音を耳にする

ことがあった。


 正確には、結婚式を挙げる場所としての専用の教会。その鐘は、結婚式が滞りなく執り行われた

直後に、新郎新婦が紐を引っ張って鐘を鳴らす。その幸せの鐘の音なのだ、ということなど、その

当時は知らなかったのだが。

 

 ただ漠然と、あそこは結婚式を挙げる教会だといことは知っていて、高校生らしい憧れ・・・・・

あんなドレスを着たい、とか、あんなお花に囲まれたい、などという幼い憧れも相まって

「いつかあの丘の上の教会で結婚式をあげることができたらな」

などと思ったりもしていた。

 

 自転車を必死でこぎ、その最中にふと見上げるその丘の上は・・・・・・午後の柔らかな日差しが

逆光になって教会を幻想的な建物に見せ、まるで日本とは思えない洒落た色合いになっていた。

 

 

  午前中から3組の打ち合わせが続き、少し息をつきたくなった私は椅子から立ち上がり背伸びを

した。

 給湯室にコーヒーでも入れに行こうとしたその時電話がなる。

 「はい、丘の上の教会です」

 「すみません、先ほどお伺いしたものなんですけど、夏八木さんいらっしゃいますか?」 

 「はい、わたくしですが・・・・・・、山口様でいらっしゃいますか?」

 「そうです、山口です、先ほどはありがとうございました」

 私の頭の中で、たった今帰った女性の面影がよぎった。声が少し遠く感じるので、珍しく公衆電話

からかけているようだった。

 背後でバスのクラクションのような大きな音がした。

 「どうされましたか?お忘れ物ですか?」 

 私はフロア内を見回して聞く。つられて、隣に座っていた同僚の七海もきょろきょろと見回している。

 電話の向うの彼女は、私が先ほど渡した挙式の見積表の疑問点を、2,3挙げた。どうやら帰る

道すがら取り出して眺めているうちに、ふと分からない箇所が浮かんだらしい。

 新郎の胸に飾る小さなお花は、新婦のブーケと同じ種類の生花だということの確認。そしてそれの

金額の確認(新郎の父親の胸にも飾るので×2の金額だということ)などを再度説明してやっと彼女は

安心したようだった。

 「ごめんなさい、つまらないことでお電話して。なんだか気になったものですから」

 「とんでもございません、少しでも気になった点は、いつでもお尋ねくださいね」

 「ありがとうございます」

 電話口の向こうで、ほっとした顔で微笑む山口さんの顔が浮かぶ。

 「次回のお打ち合わせは来週の木曜日の17時ですね、お待ちしております」

 「はい、その時まで、席次表と席札を、作っておきます」

 「よろしくお願い致します」

 私は微笑みながら電話を切った。

 「さっきお見えになった山口さんから?」

 七海が尋ねる。

 「うん、そう」

 私は手元の挙式スケジュール表の大きなバインダーを開き、確認して答えた。七海は少し心配げ

な表情をした。

 「確かお式は3週間後だったね、いよいよ佳境に入ったから、頭の中がいっぱいいっぱいなんだ

ろうなあ」

 「多分そう思う。どちらのご両親も遠方からだから、余計に神経使っているみたいでね。山口さんが

体調を崩さなければいいけれど・・・・・・」

 私は、もともとほっそりとした新婦である山口さんが最近会うたびに少しずつ痩せてきたような

気がして、どうも気にかかっていた。

 もうすぐお式。仕事もぎりぎりまで勤めると聞いたので、今引継ぎなどで大変な時期かもしれない。

 無理をしなければいいけれど、と私は不安に思う。

 

 

 

 そう不安に思う気持ちは、山口さんを案じてだけではなく、実は彼女の式は私がこの結婚式場に

就職し1人で担当した初めての、最初の結婚式だいうところからもきている・・・・・・と、私はよく自覚

していた。

 半年前から彼女とその彼と念入りに打ち合わせしてきて、やっともうすぐ、それが完成する。 

 私は手元のバインダーを眺め、胃から喉元にせり上がって来るような緊張感を感じ、パタン、と

表紙を閉じた。

 そして再度給湯室に向かいかけたけれど、思いなおして外へ出た外へ出る。

 

 夕方の日差しが柔らかく私の顔に射した。初春のそよ風が心地よい。目の前いっぱいに広がる

ハーブの畑から、いい香りが漂ってくる。そのハーブ畑に小道が続き、それはこじんまりとした小さな

チャペルへと続いている。

 私はチャペルの鐘を、じっと見上げた。夕日の色に、白いチャペルはとても可憐に私の目に映る。

 あれはいつだったか、そう、高校時代、この丘のふもとをあくせく自転車で通学している頃に見た、

逆光の幻想的なチャペル。あの頃と全く変わらない威厳と美しさが、今私の目の中に飛び込んで

きた。

 

 ほっと、私は大きく息を吐く。

 

 「丘の上の教会」は、地元では老舗の山之内ホテルが親会社の結婚式場だ。市内を見下ろす

小高い丘の上にハーブガーデンが広がり、その敷地内にはシンプルだけどかわいらしいチャペル

と、披露パーティーが催せるイタリアンレストラン、カフェのある建物。

 その建物の1階に、私が勤める婚礼事業のフロアがある。型にはまらない、アットホームで手作り

感覚の挙式と披露宴が可能なので、その方針で式を挙げたいカップルには人気の式場だ、と思って

いるし、実際その評価も高い。

 週末は毎週婚礼で埋まるこの時期は、私たちアドバイザーはいくつも担当の挙式を抱え全く気が

抜けない日々を送っている。

 

 憧れの教会に、まさか自分が就職するとは。式を挙げる側ではなく反対の立場だが、あの高校生

の頃の自分がこの未来を知ったらどう思うだろう?

 「お疲れ様。今日はたくさん打ち合わせがあったのね」

 はっとして声がするほうを見ると、婚礼アドバイザー主任の枕木さんがハーブに水をやっている

姿が目に入った。

 「お疲れ様です。すみません、水仕事をさせてしまって。私がやります」

 いいのよ、というふうにヒラヒラと手を振って、黒いパンプスに水がかからないように器用にホース

を使って水を遣っている。

 「ガーデンの佐伯さんが、ちょっと今休憩中なの。たまたまホースが目に入ったから。そろそろ

夕方の水遣りでしょ」

 枕木さんはそう言って、さあいいかな、と呟きながら水道の栓を止めに向かった。

 ハーブガーデンには専門の園芸家がついてハーブの世話をしている。佐伯さんは、50代の男性

で、寡黙だけれど植物への愛情はとても深く私が尊敬する人の1人だ。

 尊敬する人のもう1人でもある先輩、枕木主任が戻ってきた。ハンカチで手を拭きながら、私の隣に

立って敷地を眺めた。

 「この季節が一番いいわね」

 ハーブの香りを吸い込むように軽く息を吸って、主任は続けた。

 「気候もいいし、なにより緑がきれいね。まあ、婚礼も多いから忙しいけれど。でも平日は、至って

平和なものね」

 そうですね、と私は、ふとカフェの方から聞こえた賑やかな声に目をやった。

 カフェは婚礼が入っているいないに関わらずいつでも一般客が利用できるし、レストランも婚礼時

以外はランチやディナーを楽しむ地元のお客様でいつもにぎわっている。

 なかでも、このハーブガーデンで採れたハーブを使ったハーブティーがカフェではとても人気で

それを目当てに常連さんも多い。

 私も、佐伯さんが丹精込めて世話したハーブを使ったこのハーブティーが、とても好きだ。

 「今日は、私は打ち合わせは1件だけだったのよ。夏八木さんは忙しかったわね。どう、どれも

順調?」

 そう聞かれ、毎朝のミーティングで各々の担当挙式の進捗状況をお互い報告しあっているけれど、

そこでは決して吐けない弱音を、つい吐いてしまいそうな、そんな夕方の雰囲気と主任の笑顔に

思わず私は言葉に詰まった。

 

 緊張しています。

 初めての挙式を3週間後に控えて、新婦も私も思わずピリピリしそうです。

 特にこのお式は、両方のご親族に少ししきたりにこだわる方がいらっしゃるようで、その方々を

満足させつつ、新郎新婦の望みも叶えたい。だから、失敗したらどうしよう、って常に思ってるん

です。

 

 そう主任に言えたらどんなにか楽になるだろうか。けれども、私はぐっと抑えた。

 「入社したてならまだしも、もう半年以上たつんだ。自分で踏ん張るべきだ」

 先日の新堂さんとの電話で、彼に言われた言葉を、私は念仏のように唱える。

 ふと視線を感じたので横を見ると、枕木主任が40代とは思えない若々しく上品な顔に妙に

さばさば、とした笑みを浮かべていた。思わすその表情に見入る。

 「大丈夫。心を込めてお世話をすれば、きっと思いは伝わるから・・・・・・」

 私の気持ちをほとんど汲み取ったような主任の言葉と笑顔に、私はほっと肩が軽くなるような

気がして、弱々しくはあるけれど何とか微笑んで見せた。

 

    

 

photo by   ミントBlue