丘の上の教会  2
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 次の日、遅番勤務の私は午前11時半過ぎに教会内の駐車場についた。

 車のエンジンを切り、キーを抜いてドアを開けると、真向かいに止まっている軽ワゴン車から

同時に男性が降り立つところだった。

 「おはようございます、荒金さん」

 「お疲れさま」

 式場が提携している生花店の店長である荒金さんはジーンズにつけたチョークバッグに車の

キーを押し込みながら、私に手を振った。

 「今日はご苦労様です、12時からですよね、お打ち合わせ」

 「夏八木さんの担当式だから、俺も気合入れてますよ」

 彼は車の助手席から、カタログ類や花専門の雑誌類を取り出し小脇に抱え車の鍵を閉める。

 その動作を少し見守って、私は彼と歩幅を合わせて入り口まで歩いた。

 「今日のお客様・・・・・・徳山さんなんですが、最初の私とのお打ち合わせからお花にはとても

こだわりを持っていらっしゃる方なんです」

 「うん、前に電話でそう言ってたね。イメージをきちんと固めてるんだって?」

 「はい、色やお花の種類など。生花で溢れる式場が、昔から夢だったんですって」

 「腕が鳴るなあ」

 そう言いながら荒金さんは建物の裏口(これは婚礼フロアの正面玄関でもある)を押して、

私を先に通してくれる。

 外見から中身まで、とにかくお洒落な荒金さんは、でも実は男気溢れる紳士であるのだ、と、

私は彼に2回目に会った時に察した。

 彼の手がける花の数々は、とても丁寧で繊細。そして、どこか豪快。

 その豪快さと言うのは、彼の実の姿なんだろうな、と、彼の作った花で溢れた挙式を初めて

見た時、思ったものだ。

 「あとまだ20分あるな。悪いけど、夏八木さんのデスク借りれる?それとちょっと店のほうに

FAXも送りたいんだけど」

 どうぞ、と私は彼をデスクのあるフロアに通し、自分はカフェの方へ向かった。

 

 婚礼のフロアは、私たちのデスクがあるフロア(ここはお客様と相対してお話できるようにも

設計されている)と、式の時は親族やご友人がゆっくりと控えることができる丸テーブルと椅子

が配置された広いオープンなフロア、そして新郎新婦の控え室。

 その廊下を真っ直ぐ歩くと、カフェに行き当たる。カフェを素通りすればハーブガーデンに出て、

目の前にはチャペルが見える。

 カフェのアルバイトの女の子と挨拶をし、私はカフェの中央に位置するらせん階段を登った。

 

 階段の上2階のフロアは全て、披露宴も行うイタリアンレストランになっている。

 お昼のランチを楽しんでいるいくつかのお客さんのグループに会釈し、私は高津マネージャー

を探した。

 彼はランチメニューで人気のサラダバーに、サラダを追加しているところだった。

 「おはようございます」

 「おはよう」

 にっ、と、私を見ると彼はいつもこんな笑い方をする。彼は私のことをほとんど妹のような、

もしくは自分の娘のように(実際20歳ぐらいの娘さんがいる)思っている、と当の本人から

聞いたことがある。

 「今度の、野木さん山口さんのお式で確認事項があるのですが・・・・・・」

 「ああ、夏八木さん初めての挙式のね」

 「そういわれると、なんだかプレッシャー」

 「だろうね、そう思ってわざとプレッシャーかけてるの。いい意味でね」

 いたずらっぽく笑って自分の肩越しに振り向きながら私に言う高津さんの後について、私は

厨房に入った。

 「お疲れ様です」

 「お疲れ様」

 ウエィターやウエィトレスの皆が忙しい中笑顔で返してくれる。

 私はこの2階のレストランが、とても好きだ。婚礼があるときは殺人的な忙しさなのに、みな

殺気立たず悠々と、とにかく為すべき事を為す。

 どんなに経験の浅い新人さんでもその教育は行き届いているようだった。

 それもこれも、大きな有名ホテルで経験を積んできた料理長の土岐さんと、みんなの父親的

存在のダンディな高津マネージャーの教育が為せる業だ、と私は思っている。

 

 高津さんと例の山口さんの披露宴についてケーキの細かいことで確認作業をして1階に

降りると、ちょうど徳山さんが来たところだった。

 「徳山さんこんにちは、いらっしゃいませ。今日はわざわざお疲れ様です」

 「あ、夏八木さん、こんにちは」

 ウェーブのかかった長い黒髪をキュッと結った徳山さんは、背の高さも手伝ってとても日本人

とは思えない個性的な美しさのある女性だ。雑貨店に勤めていて、いつか自分でお店を

出したい、という夢もあるらしい。

 就職して今までたくさんの新婦の卵さんたちと接してきたが、皆自分というものを持っていて、

そして皆美しい。そう感じる。

 

 これから結婚する。その決意は、こうも女性を強く太く美しくするものなのだろうか、と、この

徳山さんを見ていると尚更感じるのである。

 彼女を奥の広い丸テーブルのフロアに案内する。

 「荒金店長、徳山さんがいらっしゃいました」

 「どうも、荒金です」

 彼が立ち上がって徳山さんに会釈する。背の高い徳山さんと並んでも、荒金さんはそれ以上に

背が高い。

 「では、どうぞごゆっくりとお打ち合わせくださいね。私はデスクにいますので、何かありましたら

お呼びください」

 2人にコーヒーを持って行き、私はそういい会釈した。

 デスクに戻るとちょうど電話が鳴った。

 「夏八木さんですか、山口です」

 「山口さん。こんにちは」

 電話の向うの彼女の声が、今まで以上に少し元気がない。瞬時に私はそう感じて、微かに不安

な気分になった。どうしたのだろうか。

 「打ち合わせは今度の木曜日なんですけど、ちょっとその前にご相談があって・・・・・・」

 「どうぞ、いつがよろしいですか?今日でしたら午後はずっと空いていますよ」

 

 今、私の目の前に座る山口さんは、少し蒼白い顔をしている。

 「大丈夫です。今から衣装の方に確認してみますね。きっと大丈夫ですからご心配なく」

 私は明るく笑って電話に手を伸ばした。ホッとした顔をして彼女が微笑む。

 彼女の話はこうだった。

 彼女の母親という人が、彼女の人生に今まで過干渉で自分はまるで母親が操る人形の

ようだった、と山口さんは私の顔を見て話を切り出した。

 「とにかく、この結婚式に関して全てに自分の好みや意見を押し付けようとするんです」

 そういえば、私が現在担当している他のカップルに比べると、この式場では手作りの

挙式ができるのにも関わらず、山口さんはいわゆるオーソドックスな形にのっとった‘普通の’

披露宴だな、と私も少し感じてはいた。

 もちろん、お客様それぞれの事情や感性があるので、どんなお式でも全くかまわないのだけれど、

山口さんの披露宴スタイルの背後に、世間体を重んじるお母様の影があったとは私も今まで

気がつかなかった。

 普段大人しい感じがする山口さんからはちょっと想像がつかないほどの苦々しい口調で、

彼女は続ける。

 「私も大体のことは黙って聞いていました。でも、ドレスのことは、本当に許せなくって」

 聞くと、ウェディングドレスの下見に何度か行って、山口さんは彼女なりに‘これが着たい’

と思うようなドレスがあったらしい。けれどそれは体に添ったシンプルなラインの流行の

形で、彼女のお母様はいい顔をしなかった。

 結局、お母様の勢いに押されて、昔からよく見られるフワっとしたドレス、いわゆる

プリンセンスラインの白いドレスに決定してしまった。

 「ドレスのことはあきらめたんです。でも・・・・・・、そのまま衣装を契約して、その帰り際に目にした、

淡いクリーム色のつばの帽子がどうしても忘れらなくって。パールやビーズを散りばめて、すごく

素敵だったんです。」

 山口さんは、まるで夢に浮かれたような目になって続ける。

 私はじっと、その彼女の顔を見た。

 「披露宴の間中被らなくていいんです、母が嫌な顔をするだろうから。最後のお客さんの

お見送りの時だけでも被れないかと思って・・・・・・。衣装室に私が直接言えばいいのでしょうが、

まず夏八木さんにご相談したんです」

 

 私は間髪いれずに、電話の受話器を取って親会社の山之内ホテルにある衣装部の番号を

プッシュした。

 コール音が聞こえる間、母親離れ、子離れ、親の過干渉、自立できない子供・・・・・・

そういった問題は、結婚式を挙げる際に一番際立って表立つ問題だと改めて頭をめぐらせた。

 自分は母親を15歳の時に病気で亡くしているので、いわゆる‘実の母と娘’の微妙な

問題には、まったく無頓着の状態なのだ。そのせいかどうなのか、今まで山口さんの悩み

に気がついて挙げられなくて本当に申し訳ない、と、目の前で待つ彼女の白い顔を見ながら

心の中で手を合わせた。

 「はい、山之内ホテル衣装部の、川辺です」

 「川辺さんですか。丘の上の教会の夏八木です」

 「あら、美香ちゃん。お疲れ様」

 河辺さんが電話口に出てくれて、私はなんとなくホッとした。さばさばとしてお洒落なお姐さん、

という雰囲気の川辺さんには、入社したての研修で初めて会いそれ以来よく気にかけてもらって

いる。

 私は山口さんの頼みごとの経緯を簡単に説明し、要するに最後のお見送りの時だけその

帽子を被るよう当日手配できないか、ということを説明した。

 「分かった、全く問題ないわよ。多分、山口さんが言われている帽子はこれだと思うのよね、

今私の目の前にあるんだけれど、滑らかな生地のつば広帽子にパールと水色のビーズが

まんべんなく散りばめられているの。今山口さんの資料見てるけど、彼女の選んだドレスに

も合うわね」

 私は受話器を手で押さえてそのまま山口さんに帽子の色形を告げると、彼女はそうです、

そうですと嬉しげに頷いた。

 「その帽子で間違いないです、川辺さん」

 「ちょっと待ってね・・・・・・ええと、・・・・・・大丈夫、この帽子はその周辺日に貸し出しがないから。

これね、最近入ってきた帽子なのよ。すごくいい帽子なのよ。山口さん、いい目してるわねって

伝えておいてね」

 電話を切って、私はそのままを山口さんに伝えた。

 「よかった・・・・・・。ホントによかった。たかだか帽子1つなんだけど・・・・・・嬉しい」

 何回も頷いて喜ぶ彼女を見て、私はこの帽子は彼女のこの結婚式における唯一の‘自分’

なんだ、自分を表すものなんだ、と感慨深く思う。

 

 せっかくこの式場を選んでくれたんだもの。最後の最後まで、自分を無くしたままで終わらない

で欲しい。自己主張が難しい環境でも、山口さんの帽子みたいに、1つだけでも何か、形で

表して満足して欲しい、後々後悔しないために。

 そして、そういった自己主張の願いを叶えることができるのも、この式場ならでは、なんだ。

 

 私は帰っていく山口さんを駐車場で見送り頭を下げながら、この職場に対して誇らしげな

気持ちになっていた。

 

    

 

photo by   November Queen ・ミントBlue